ポーカー伝説:フィル・ヘルムス

ポーカー伝説:フィル・ヘルムス 0001

フィル・ヘルムスは“華麗さ”と“宣伝”の代名詞である。1989年のワールドシリーズオブポーカーで第一線に来たあとは、休む間もなくポーカーを使ってマーケットを繰り広げている。今までの実際のゲームでもうけたよりも多くの金をポーカー関連の事業でもうけているとされる。

どういうわけか、この“マーケティング”がフィルに悪いイメージをあたえている。多くのテレビ視聴者からは、甘やかされた生意気なやつとして見られていて、彼の名前にはポーカーの「わるがき」のイメージがつきまとう。しかし、このイメージがテレビを触発したのだ。このイメージのおかげで、ポーカーが何百時間もテレビ放映されるようになった。プレイヤーが何らかの個性を見せなかったら、ここまでのポーカー報道はありえなかっただろう。

フィルが以下のことを認めているのを聞いたことはないが、彼はアメリオ・スリム、ドイル・ブロンソン、トム・マクボイなどのプレイヤーが踏み固めた道を進んできている。マーケティング戦略と人気を出す戦略の筋道である。疑うかもしれないが、信じてほしい。アメリオ・スリムは宣伝戦略を独自に開発した人である。1970年代にはトゥナイトショーにジョニー・カーソン(他のあまたのショーに出ているので説明する必要も無いだろう)とレギュラー出演している。ドイル・ブルンソンは宣伝を積極的にすることが彼の名声を傷つけ養いかと恐れていたが、スリムはいつもカラフルな服を着ておもしろく、ポーカーに好印象を与えたのである。

1983年、ラスベガスに到着したばかりの無名プロがWSOPのチャンピオンシップで優勝した。しかも、小さな予選イベントからの勝ちあがりである。新聞は盛んに書きたて、彼をヒーローにした。トム・マクボイである。彼は海外のトーナメントでプレイし、記事や本を出版した。ウィスコンシンのマディソンからやってきて、WSOPのメインイベント最年少勝者となった童顔のプレイヤーのためにお膳立てをしたわけである。

フィリップ・J・ヘルムス ジュニアは1964年7月16日に生まれた。両親は彼がウィスコンシン大学でポーカーをやり始めても心配はしてなかったが、プロポーカープレイヤーになるために大学を中退したときは嘆き悲しんだ。1989年にWSOPでフィルが第一線に立ったときに初めて、父親は彼の決断を理解し、認めたというのがよく知られている話なのだ。だが実際には、彼は最初からポーカーの天才児だった。

その当時、年配プレイヤーと頭の回転を競おうと、WSOPには若い新人プレイヤーが続々と参入してきていた。フィルも1988年にWSOPに参加した。23歳、童顔の年取った子供で、何の知名度も功績もなかった。彼は参加料$1500の7スタッド ハイ/ローをプレイした。彼はそこでとてもよいプレイをし、5位になって15000ドルを獲得したのだ。

彼は参加料$10000チャンピオンシップイベントでもとてもよいプレイを見せた。33位にまで上り詰め、7500ドルを手にしたのだ。大きなトーナメント大会での才能に自信をもって、彼は1989年のWSOPを心待ちにした。24歳になったとき、ロサンゼルスのBicycle Clubで、初めての大きな大会での勝利をあげた。WSOPがやってくるころには、フィルは大物に挑戦する心構えがしっかりできていたのだ。

178人のプレイヤーの中を苦労して突破したあと、ヘルムスはついに最終テーブルにたどりついた。344000ドルを手にしていた。それを上回っていたのは350000ドルのジョニー・チャンと413000ドルのスティーブ・ロットだけであった。

みなをへとへとに疲れさせるような重い数時間の後、二人のプレイヤーが生き残った。1987年と1988年のメインイベントチャンピオン、ジョニー・チャン(前年の戦いでは若いエリック・シーデルをヘッズアップで破っている)と、24歳のフィル・ヘルムスである。チャンのヘッズアッププレイはすばらしいことで名高いが、この時点でフィルのチップのほうが圧倒的に多かった。最後のゲームで、ヘルムスはチャンの$130000のベットを一億ドル以上でリレイズした。彼は9のペアを持っていた。

チャンは熟考した結果、残っているチップでコールした。彼はA-7のスペード二枚をもっていた。

フロップはキングペアでスペードはなく、ターンとリバーでもチャンに有利なカードは出なかった。彼のハンドはエース・ハイにとどまった。ヘルムスの9ペアの価値があがった!彼は万歳をして勢いよく立ち上がった!新しいチャンピオンの誕生である!

これ以来、彼は“ポーカーマーケティング”を最大限するようになった。カードプレイヤーマガジンのために記事を書き、本も何冊か執筆し、戦略を説明したビデオまでうりだしたのだ。カリフォルニアのパロ・アルトのうちで二人のこどもと妻ケイシーと暮らしているが、トーナメントにも相当の情熱を注いでいる。ある分野の頂点を踏んだことのある人でその後もここまで情熱をかけている人はあまり見かけない気がする。

ヘルムスのWSOP記録にはただただおどろかされる。彼はリミット、ノーリミット、ポットリミットと全てのホールデムで勝ち、ほとんど全ての形式のポーカーで最後のテーブルまで生き残ったのだ。彼の9ゴールドブレスレッドという記録はWSOPで一番なわけではない(彼はジョニー・チャンとドイル・ブランソンの10勝に次いで単独3位である。)。だが今年、フィルはとても重要なタイトルをこれまでの主要トーナメントでの50回の優勝のリストに加えた。

NBCとゴールデンナゲットによってまねかれた64グループのプレイヤーの中から、フィルは最初の「ヘッズアップチャンピオン」に輝いたのだ。このプレイの模様はNBCで報じられたが、とてもわくわくする、風変わりなものだった。最高のプレイヤーだけが何人かの敵を打ち負かして最後の8人にまで残れた。ジョン・ジュアンダ、スコット・フィッシュマン、マイク・セクトン、ライル・バーマン、T.J・クロウチア、アントニオ・エスファンディアリ、クリス・ファーガソン、そして勝者のフィル・ヘルムスである。

フィルはポーカー人気を促進した偉大なプレイヤーで、一流のチャンピオンシップトーナメントプレイヤーであるということが証明された。しかし、彼は常にベストポーカープレイヤーでいたいのだという。民衆が「チャンピオンの中のチャンピオン」を決められるかどうかははなはだあやしいが、フィルは間違いなく候補者のひとりだろう。彼が近いうちにポーカープレイヤーの殿堂入りしないわけが無いと思う。

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