伝説となったポーカー関係者 – Mike Sexton

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ほとんどの人がマイク・セクストン(Mike Sexton)の名を聞いたことがあるはずだ。少なくとも、テレビでワールドポーカーツアーが放送されたときにビンス・バン・パトン(Vince Van Patten)とハンドについて討論するマイクの声は聞いたことがあるでしょう。そのことでマイクは有名にはなったが、伝説的なポーカープレイヤーになっちたわけではない。読者の皆さんはWSOPでセクストンが37度の入賞経験を持っていることは知りたいだろう。実際、Dewey Tomko、Howard Lederer そしてJohnny Chanに続く10位をキープしているのである。これで読者の皆さんの関心を引いただろうか。

1947年9月22日に生まれたマイクはオハイオのデイトンという町で育った。ダンス講師の両親の影響は息子たちに大きかっただろう。マイクと、兄弟のトムは地元のYMCAの体操クラスに通い、後に高校では体操部に入部した。学校では二人ともすばらしい成績を収め、チームを州の体操選手権に導くほどだった。

兄弟は奨学金を受けとり、トムはオクラホマ大学へ進学。そこで彼は大学初のアメリカ代表に選出される。マイクは実家にほど近いオハイオ州立大に進学した。ウッディ・ヘイズやオハイオ州バッキーズのアメフトチームが一面ニュースになる中、マイクもまた有名だった。ヘイズはかつて「オハイオ出身の男は誰でも努力すれば人生において成功できる」と言っている。「誰でも」というのは、アメフト選手のことであろうが、セクストンの若年時代の競技人生を象徴する言葉だった。

マイクは何百時間もかけて日課をきっちりとこなし、その忠誠心と努力によって、またもオハイオ州最優秀体操選手に選ばれた。マイクが同じ努力をポーカーに注ぐ2,3年前のことである、そして彼の人生は劇的に変わった。

大学卒業後、ノースキャロライナ、フォートブラグの第82空挺師団に入隊。落下傘降下兵の訓練を受けていたが、軍隊の賃金が低いため、社交ダンスも教えていた。兵役期間が終わると、セクストンは軍の売店相手の営業の仕事に就き、そのころポーカーを始めた。

しかし、彼にとって70年代は決して最高の時期ではなかった。長時間労働とポーカーによって結婚生活が壊れ、また離婚後はポーカーをするには仕事が負担になっていると考えた。78年にポーカーだけに集中したいと思い、営業の仕事をやめた。その後は落ち着いた生活ができるようになった。

波はあったものの、「もしうまくいかなくなっても、別の仕事をすればいいと思っていた」とマイクは言う。定期的にラスベガスに通い、ノースキャロライナでプレーする生活を7,8年続けたのち、ネバダに引っ越した。

今やマイクは望めばどこにでも住めるであろう。しかしワールドポーカーツアーに参加するため、各地を飛び回っている。しかし、テレビに出演し始める前は小さなトーナメントや、ラスベガスで何年もプレーしていた。バイ-イントーナメントでのプレーが増え、そして1989年にWSOPで初めていい成績を収めた。

彼は、1989年の第20回WSOPの参加費1500ドルのセブンカードスタッドハイ/ロースプリットトーナメントで104,000ドルを稼ぎ出し、そしてゴールドブレスレッドを勝ち取った。過去15年間WSOPでの成功しつづけた、そして毎年のように入賞し、550,000ドル以上を手に入れるキャリアを積んできたのである。

セクストンはアメリカ国外のトーナメントでもすばらしい成績を収めている。2000年、マイクはヨーロッパホールデムチャンピオンシップで優勝し、ポットリミットオマハ、オマハハイローでも優勝した。2003年にはパリユーロポーカーヘッズアップチャンピオンシップ決勝で優勝。しかしながら、彼はヨーロッパで強いだけではない。

2005年、オーストラリアが絶好の場所になった。セクストンはクラウンオーストラリアポーカーチャンピオンシップのポットリミット・ノーリミットスピードポーカーで優勝するなど、3つのイベントで賞金を手に入れたのだ。そして2006年1月、マイクは同じチャンピオンシップのスピードポーカーで4位入賞を果たした。

マイクのポーカーの才能を疑う人は、彼が何年も執筆しているポーカー戦略についての記事を見逃していることだろう。より多くの人にポーカーを楽しんでほしいという思いから書いた「ワールドポーカーツアー:shuffle up and deal」という本も出版した。ポーカーで成功する秘訣が含まれているはずだ。そして彼がテレビで知られている人物なだけに売れるに違いない。

テレビでマイクを見かけなくても、彼がパーティーポーカーのスポークスマンであることを覚えていておいていただきたい。2000年に就任後、何ヶ月かインドでウエブサイトの立ち上げに協力し、また、カードプレーヤークルーズのリンダ・ジョンソンにパーティーポーカーミリオンの決勝をクルーズ船上で開催することを提案した。それが実現し、今日パーティーポーカーはたった6ドルでクルーズとそのトーナメントに出場できるサテライトトーナメントを提供している。

ワールドポーカーツアーの司会者として成功していることで、彼のポーカーのキャリアが見落とされることがよくある。このような名声は不運な一面ではあるが、イベントの司会者であろうが、プレーする側であろうが、彼は常に努力家で、そしてポーカー伝説の名を受ける価値のあるプロである。

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