伝説となったポーカー関係者:Howard Lederer

伝説となったポーカー関係者:Howard Lederer 0001

1987年ラスベガス、Binionの外は39度。私は2ドルのピザを食べ終え、幸せを感じていた。WSOPが終わりに近づき、僕はカジノの裏へと群集を掻き分けていく。カメラのライトと人々の熱気で外と同じくらいに暑くなっていた。

ファイナルテーブルに近づくと、Bob CiaffoneとJohnny Chanが目に入る。Chanのチップの山は少なくてもCiaffoneの倍はある。そしてひげの生えた若い男が、自分のチップを守ろうと毎ラウンド必死になっている。まるで“Treetop”のJack Strausのようだ。

次の手札が配られ、22歳の若者が唇に指を当て、そしてフォールドする。20分しても、いまだに彼に歯があるのかわからない。ついに口を開く。フルセットを持っていたのだ。数年が経った今、Howard Ledererはポーカーの動きもフルセットだ。彼には何かを感じ、緑色のテーブルをはさんで彼に会えるのを楽しみにしていた。もう19年が経つ。そして僕は今も待っている。

Howardは1965年、ニューハンプシャーのコンコルドに生まれた。他の有名なポーカープロと同じように、彼の父も学術関係の仕事に従事し、(ニューハンプシャーのセントポールズスクールでも教鞭をとっていた。)よく家族でゲームをしていた。がんばって父親に勝とうとしていたそうだが、しかしながらその種目は10代の頃のころ夢中だったチェスだった。

18歳になると、チェスへの情熱からニューヨークに引越し、Howardがよく通っていたクラブの1つに裏でポーカーができるところがあった。すぐに彼は夢中になった。お金を稼ぐためにクラブの雑用をし、まぶたがブロックのように重くなるまでプレーをした。コロンビア大学の生活はポーカーに独占されたが、稼げずに苦しんでいた。

やがて、Howardは、当時ブリッジやバックギャモンの人気がポーカーへと変わりつつあったメイフェアクラブへ通うようになる。Jay Heimowitzなどお決まりのプレーヤーはすでに定着していたが、Jason Lester、Erik Seidel、そしてSteve Zolotowなどはホールデムに関しては素人だった。(Dan Harringtonを含む)このグループは2時にゲームが終わるといつも喜んでバーに行っていた。

このバーでの集まりはポーカーゲームと同じくらい重要になっていった。バーが開いている間中ビール片手に、その日のプレーについてオープンに、そして正直に、戦略、心理、資金について話し合った。

このグループから初めてWSOPで入賞したのはHowardとDanだが(Jonny Chanに敗北)、1998年にはErik Seidelが2位に入った(このときもJonny Chanが優勝)。メインイベントに先立って、Howardは1500ドルホールデムと1000ドルオマハトーナメントで7位に入賞した。その年には、妹Annieにポーカーを教え始めた。言うまでもないが、将来のMs. Dukeは教え甲斐があった。いまや、女性プレーヤーではトップ、WSOPで775,000ドルを稼いでいる。

自分のポーカーのレベルを上げるため、1993年ラスベガスに引っ越した、とHowardは言う。10年間キャッシュゲームに専念し、WSOPでも成功し続けた。1993年から1999年の間に8度ファイナルテーブルへ進み、2000年の5000ドル バイ-イン リミット オマハ ハイ/ロートーナメントで初のゴールドブレスレットを勝ち取った。

翌年、WSOPの二度目となるトーナメント-5000ドルDeuce to Sevenイベントで優勝した。この頃にはトップ-フライトキャッシュゲームプレーヤーとして知られていたが、トーナメントの賞金が驚くほど跳ね上がり、WPTのスタートをきっかけに、彼は多くのイベントに出場するようになった。

2002年の11月、ワールドポーカーファイナルで優勝、320000ドルを手にし、何ヶ月も経たない間に、2003年パーティーポーカーⅡクルーズ(リミットトーナメント)からも290000ドルを持ち帰った。

これでも「ザ・プロフェッサー」を聞いた事がない人がいたら、2003年べラージオ2500ドルノーリミットファイブスターワールドポーカークラシッック、221000ドルの勝者の名前を見てほしい。Howardは2004年もまた勝利し、この年は340000ドルを手に入れた。

Howardはいつか10000ドルWSOPチャンピオンシップで優勝したいと思っているが、妻Suzieと7歳の息子Matthiasと過ごす時間を優先し、少々ポーカーを控えている。しかしながら、デザインの手助けをしたFull Tilt Pokerへも時間を割き、ソフトウエア会社Tiltwareの社長も続けている。

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