WSOPへのカウントダウン7:ポーカーは世界的なものとなった

WSOPへのカウントダウン7:ポーカーは世界的なものとなった 0001

現在ではありふれたことになっているが、WSOPは今日と違って、世界的なものではなかった。初めは、ほとんどがアメリカ人で占められていた。しかしながら数年後、急速に状況は変化した。

初めてトーナメントに国際的な変化をもたらしたのは1976年であった。最後の"ウィナーテイクオール"のチャンピオンシップにおいて、メキシコからの参加者Jesse Altoが、Doyle Brunsonとのヘッズアップでランナーアップとなったのである。Jesse Altは優れたプレーヤーで数年にわたってファイナルテーブルに進んだ。しかしチャンピオンを勝ち取ることはなかった。そして80年代、初めて海外からの参加者が優勝した。

初の優勝者とは、1983年度のスコットランドから参加したDavid Baxterである。彼は$1,500のノーリミットホールデムにおいて優勝し、アメリカ以外でも盛んにポーカーがプレーされているということを明確に示した。このことは、同年、イギリスの伝説のプレーヤーDonnacha O' Deaにとって、ファイナルテーブルへの初挑戦へと強く影響した。Baxterは3年後、2つめのブレスレットを獲得しカムバックした。そしてイランのHamid Dastmalchiも初のブレスレットを獲得した。他にも有名なプロポーカープレーヤーであるオーストラリアのMel Judah、ノルウェーのThor Hansenが80年代にチャンピオンとなった。しかし、その10年においては海外出身者のすべての中で、あるプレーヤーが勝っている。そのプレーヤーとはJohnny Chanである。

Chanは中国で生まれ、1985年初のブレスレットを獲得した。2年後、まさに"アジアからの急行"とも言うべき彼は、海外出身者で初のチャンピオンシップの優勝者となった。そしてさらに1988年にも優勝したのである。二度優勝するのは未だかつて4人しかいない。1989年Chanの3年連続の優勝は、WisconsinからのPhil Hellmuthによって打ち破られた。でなければChanは唯一となる3年連続優勝を果たしていたであろう。それから、彼はさらに7つのブレスレットを獲得し、海外出身者で最もリードするというだけではなく、(Doyle Brunsonとともに)WSOPにおける全てのプレーヤーの中でもトップにいる。

90年代、アジア出身者のプレーヤーが数多く誕生した。Men "The Master" Nguyen, An "The Boss" Tran, Chau Giang ,Tony Ma (彼らはベトナム出身である) ,David Chiu (中国出身)である。彼らは、この10年間において初のブレスレットを獲得した。1993年、コスタリカのHumberto Brenesは海外出身者で初となる2つのブレスレットを獲得した。1994年には"The Master"も同じことを成し遂げた。36年間を総合して、24の国からのプレーヤーがチャンピオンシップに参加している(これらの国々で50以上のブレスレットを獲得している)。競い合っている多くの国々(ロシア,ニュージーランド,メキシコなど)が未だこの優勝への扉をこじ開けていない。

チャンピオンシップは6名の海外出身者によって優勝がもたらされている。Johnny Chan,ウェールズのMansour Matloubi (1990),イランのHamid Dastmalchi (1992), アイルランドのNoel Furlong (1999), スペインのCarlos Mortensen (2001)そしてディフェンディングチャンピオンであるオーストラリアのJoseph Hachemだ。2006年、このリストに誰かが加わることはあるであろうか?

その答えはイエスである。2005年、WSOPには40カ国を超える国々から参加者が集まった。そしてその数は今年度さらに上回るであろう。たった一つの疑問はWSOPという国際的な舞台で力を見せられる海外出身者がどれだけいて、チャンピオンシップを制することができるかどうかである。まさにポーカーは世界的なゲームであるということをWSOPは証明している。

以降、"WSOPへのカウントダウン"最後の2つの記事では、2005年を振り返り、2006年度を予測し、どんなことが起こるかを見ていこう。

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